だって、そうでしょう?

推しの一番になりたいだけ

理想のファン像

こんばんは、さいとうです。

今日は昨日もちらっと触れた通り、「理想のファン像」について書いてみようと思います。

 

皆さんには、ご自身の「理想のファン像」というものはあるでしょうか。抽象的なイメージから理想的なイメージまで、大なり小なり何かしらの理想像があるのではないかと思います。私にも、ファンとしての理想像があります。そのイメージに少しでも近づけるよう努力し、その反面そのイメージに縛られ葛藤することも少なくありません。が、この指針がなければ身勝手なファンになるに違いないと思っているので、自戒の意を込め文字に起こしてみようと思います。

 

① 推しに空気の読めないリプライやコメントを送らない

たまに居ませんか?自分語りをするリプライばかりを送る同担。推しのツイートに絡めて「実は私も〇〇で~」と、話をかっさらって返信に困るようなリプライを送る同担には、何がしたいの?推しに何と言ってほしいの?と頭の中に「?」ばかりが浮かびます。そして、そういう人ほど推しの舞台に行かないんですよね…。そんなに構って欲しいなら、現場に行けばいいのに…。

また、そこそこ通っていることに胡坐をかいて無礼なリプライを送る同担はさらに苦手ですね。「〇日の舞台は××に行くので行けないです笑」って何の報告だと。そして最後の「笑」は何なんだと。「残念です><」って言って貰いたいんですかね?推しに無駄な労力を掛けさせない事が美徳だと思っている拗らせオタクなので、全くもって解せぬという気持ちです。

 

② 推しの目の前でDDにならない

これは本当に言葉の通りだと思います。世の中にはたくさん素敵な役者さんが居ますから、推しが増える事は自然だと思います。ただ、ただね、推しの目の届く範囲でDDになるのって、見ていて嫌だなぁと思います。せめて見えないところでやりましょうよと。

実際に居たんですよね。「Aさんが推し」と公言している人が、ある舞台でBさんという別の役者さんを好きになったそうで。そして、その舞台ではAさんよりもBさんのキャラクターが好きだったと。そのため、ツイッターを見ても「Bさんかっこいい~!」というツイートばかりでAさんにはほとんど触れていない。ある日の差し入れを見ると、明らかにAさんよりもBさんの方が豪華。終いには、Aさんみたいなキャラクター好きじゃないんだよね発言。ちなみに彼女は、Aさんにフォローされています。

何かもう、ため息しか出ないですよね。推しにも他のファンにも失礼なのでは??と。それでいて「Aさんが推しです!」って…。DDが悪いとは言いませんがマナー違反だと思いますね、推しを蔑ろにする行為は。

 

③ 推しと同等だと思わない

推し全肯定且つ崇拝オタクなので、推しと同じラインに立っていると錯覚している同担が心底苦手です。絶対に相容れない。

私にとって推しを始め演者・制作側の人たちは舞台の上の人なので、絶対的に上の存在なんです。それに対して私たち観客席側は、あくまでお金を払って作品を「見せて貰う」存在なのです。とはいえ、どちらが偉いとか偉くないとか、そんな話ではありません。この2つは決して交わらず、互いに必要以上に干渉しないことで、絶妙な間柄を保っているのではないかと。だから、推しとファンという関係性が成り立つのでは、と考えています。

昨今、私たちはお金と時間を削って観に行っているのに何様だ、と怒れるファンも多いですが、私はあまり賛同できません。もちろん、そう思わせる発言をした側が軽率だと思いますが、個人的には「わざわざ観に行ってやっているのに」と思っている時点で、檀上に立つ人間と対等だと思っている証拠なので、そこは分かり合えないなと。(ただこればかりは、言われた側の立場に立って初めて気づくことも多いかと思うので、また考えが変わるかもしれませんが。)

どちらの立場も労力を割いているので、互いに互いを尊重できたらいいんですけどね。ただ、私は推しのATMになりたいと思ってはいますが、推しがファンをATMと扱った時点で終わりだなとは常々思います。

 

④ 身なりを気遣う

全通してくれるけれど、見た目も中身もヤバめのファンと、それなりに通ってくれる、見た目が普通中身も普通なファン。圧倒的な偏見ですが、私は後者に憧れます。更に言ってしまえば、バリバリ働いているのにほぼ全通で、見た目普通以上なファンが最高だと思っています。私が最も憧れるファンです。

推しという人間と会う以上、やはりこれも最低限のマナーだと思います。不快にさせない、清潔感のある身だしなみを意識すること。何より、自分なりのおしゃれをすると自分自身が一番楽しいですしね。なかなか難しいですが、観劇の頻度とうまくバランスを使いながらお金を使いたい部分です。

 

 

つらつらと勝手なことを書き連ねてきましたが、これが私にとっての「理想のファン像」です。以前の記事で「同担拒否だ」という内容のことを書いたのですが、私が拒否する同担というのは、私にとっての「理想のファン像」では無い人を指すのだと思います。完全なる同族嫌悪でしか無いんです。これもとても勝手なことですが。

だからこそ改めて気を引き締め、人として当たり前なことを当たり前に出来るよう、より意識していきたいと思います。