だって、そうでしょう?

推しの一番になりたいだけ

ファンサ上手

こんばんは、さいとうです。

 

今日はタイトルの通り「推しはファンサが出来て凄いよ!!天使かな??」と思った出来事があったので、主にそれについて書こうかなと思います。

私は推しの舞台期間中、最低一度は差し入れをするようにしているのですが、「差し入れありがとうございます!」とSNSに写真付きで載せてくれたり、面会の際に「この前くれたやつ、使ってるよ~ありがとう!」と言って貰えることがあります。それだけで、とてつもなく嬉しいのですが、最近さらに嬉しいことが。

 

それは、日常の呟きと合わせて、さも普段から使っているかのように、私が差し入れた物の写真を載せてくれていたんです。それに気づいた瞬間、飛び跳ねる程喜んでしまいました。「推しは何てファンサ上手な天使なの!?」と嬉しくて堪らず。けれど、すぐに反応するのは何だか恥ずかしく、1~2日時間を空けてから、「いいね」をして来ました。

 

差し入れという行為は、ファンからの気持ちであり、度が過ぎれば親切の押し付けなわけですから、「使ってくれなくて当たり前・使ってくれれば万々歳」という気持ちで居るつもりなのですが、やっぱり目に見える形で示して貰えると嬉しくて仕方がなく。そして今回のように、「差し入れ」という単語を使わずその写真を載せてくれると、その品を本当に気に入ってくれているように感じられ、天にも昇るような気持ちになるのだなと実感しました。

私のエゴで差し入れた物を、ちゃんと受け入れて貰えたのだなという、安堵感と喜びと。あぁ、悩んだけれど、あげて良かった。次は何をあげたら喜んで貰えるかな、なんて考えてしまったり。

 

推しを推すという行為は、対価を求めてはならないと常々思っているのですが、やはりファンサという形で還元されると、とても報われた気分になります。差し入れは、何をあげようかと店頭で考えている時間がとても好きで、けれどそれと同時に「毎回差し入れて重たいファンと思われたらどうしよう」と自意識過剰にもなるのですが、やはり今回のような事があると、そんな悩みも吹き飛んでしまうんですよね。

推しは本当にファンサ上手な人で、これ以外にも沢山の嬉しい物事を与えてくれました。その度に、他のファンにも同じようにしているのでは?と病んでしまったり、けれどそれが嬉しく推すことが止められなかったり。だから、推しはとてもとても、素敵な役者だと思います。本業も、ファンを大事にする姿勢も、そしてファンを離さないようにする努力も、全て合わせて大好きです。

 

ありがとう、推しくん。貴方のお陰で、私はまだまだ元気に生きられそうです。

 

 

 

マシュマロ設置してみました。質問、感想、皆様の推しの話など、何でもお気軽にどうぞ。

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同担に負けたという感情

こんばんは。さいとうです。

 

もうすぐ2月ですね。ついこの間、年を越したと思っていたのに、もうひと月が過ぎるだなんて、本当に時間の経過はあっという間です。そしてその2月は、大好きな推しの舞台が上演される月でもあります。推しはしばらく舞台が無いと言っていたので、発表された瞬間「これは嬉しい誤算」と言わんばかりに行ける限りの日程を予約しました。

ただ、残念な事に他ジャンルの現場が既に決まっていたので、その日に限っては泣く泣く諦めました…。

 

それでも全体の2/3は通えるし、満足満足!と思っていたのですが。先日同担のTwitterを覗いた際(改めて書いておくと、私は同担のTwitter監視する勢です)、私よりも多く予約をしていることが分かり、大変憂鬱な気持ちです。そして私はこう思いました。「同担に負けるなんて許せない」。

「負けた」という感情は何なんでしょうね。推しを観るために通っているはずなのに、いつの間にか推しに「勝つ」ためにチケットを増やしてしまう。何が何でも同担に勝ちたい、優位に立ちたい。そのためには、お金という指標が最も分かりやすいから、無理をしてでもチケットを増やす。そうして、「チケットを増やす」という手段はそのままに、いつの間にか目的だけが「推しを観たい」から「同担に勝ちたい」にすり替わってしまっている。

 

何とも本末転倒なことだと思います。推しに勝ちたいからチケットを増やす。推しに勝ちたいからスタンド花を出す。推しに勝ちたいから差し入れをする。推しに勝ちたいから身を滅ぼしてまで推しに貢ぐ。推しに勝ちたいからお金を積む。自分の生活を疎かにしてでも、ただ同担より優位に立ちたいが為に、お金を積み続ける。

そんな事止めればいいのに。マウントを取るなんてみっともない。と、多くの人は言うでしょう。私も自分に対して思いますよ。でもね、止められないんです。これが精神的に健康ではない状態と分かっていますし、一種の自傷行為に近いものと分かっています。分かった上でやっているんです。そうしないと、私のメンタルはもっと落ちてしまう。同担に勝ちたい、推しの一番になりたい、という感情がなければ、私はもはや人の形をしていないでしょう。人としての生活も送れていないでしょう。

 

推しを推す事で、病むのも事実。推しを推す事で、心が晴れるのも事実。推しの一番になりたいと思ってしまった以上、同担と比べてしまう道を避けては通れないのです。下世話な言い方ですが、お金を多く落とした人間が誰よりも偉いと思っているので、同担よりもお金を落とすファンになりたい。そうすれば推しが認めてくれるんじゃないか、という幻想を抱いているだけなんですけどね。

 

ただ、同担よりも可愛いと思われたいから自分にもお金を掛けるようになったのは、ある種プラスな部分かもしれません。もちろん絶対に公言できませんが、比較対象が居るからこそ、自分の立ち居振る舞いを省みることができるのは、同担に感謝しなければと思います。ごめんなさい、貴女の事は同担というだけで大嫌いだけど、でも貴女が居てくれるからこそ、私はまだまだ努力をしなければと思います。

 

来月の舞台は、これ以上無理をしてチケットを増やすことはやめようと思います。自制できた自分を自分で褒めてあげたい。その代わり、その限られた回数の中で推しにとって「いいファンだな」と思わせられるように努力しようと思います。そして、いつか「同担に勝たなければ」という呪いから解き放たれればいいのにと思ったり。けれど、それはきっと、推しの一番になれたと確信した時以外無いんでしょうね。そうしている内に新たな同担が現れて、私はまた同じことを繰り返してしまうのかもしれません。病まないために、病んでしまう。

理想のファン像

こんばんは、さいとうです。

今日は昨日もちらっと触れた通り、「理想のファン像」について書いてみようと思います。

 

皆さんには、ご自身の「理想のファン像」というものはあるでしょうか。抽象的なイメージから理想的なイメージまで、大なり小なり何かしらの理想像があるのではないかと思います。私にも、ファンとしての理想像があります。そのイメージに少しでも近づけるよう努力し、その反面そのイメージに縛られ葛藤することも少なくありません。が、この指針がなければ身勝手なファンになるに違いないと思っているので、自戒の意を込め文字に起こしてみようと思います。

 

① 推しに空気の読めないリプライやコメントを送らない

たまに居ませんか?自分語りをするリプライばかりを送る同担。推しのツイートに絡めて「実は私も〇〇で~」と、話をかっさらって返信に困るようなリプライを送る同担には、何がしたいの?推しに何と言ってほしいの?と頭の中に「?」ばかりが浮かびます。そして、そういう人ほど推しの舞台に行かないんですよね…。そんなに構って欲しいなら、現場に行けばいいのに…。

また、そこそこ通っていることに胡坐をかいて無礼なリプライを送る同担はさらに苦手ですね。「〇日の舞台は××に行くので行けないです笑」って何の報告だと。そして最後の「笑」は何なんだと。「残念です><」って言って貰いたいんですかね?推しに無駄な労力を掛けさせない事が美徳だと思っている拗らせオタクなので、全くもって解せぬという気持ちです。

 

② 推しの目の前でDDにならない

これは本当に言葉の通りだと思います。世の中にはたくさん素敵な役者さんが居ますから、推しが増える事は自然だと思います。ただ、ただね、推しの目の届く範囲でDDになるのって、見ていて嫌だなぁと思います。せめて見えないところでやりましょうよと。

実際に居たんですよね。「Aさんが推し」と公言している人が、ある舞台でBさんという別の役者さんを好きになったそうで。そして、その舞台ではAさんよりもBさんのキャラクターが好きだったと。そのため、ツイッターを見ても「Bさんかっこいい~!」というツイートばかりでAさんにはほとんど触れていない。ある日の差し入れを見ると、明らかにAさんよりもBさんの方が豪華。終いには、Aさんみたいなキャラクター好きじゃないんだよね発言。ちなみに彼女は、Aさんにフォローされています。

何かもう、ため息しか出ないですよね。推しにも他のファンにも失礼なのでは??と。それでいて「Aさんが推しです!」って…。DDが悪いとは言いませんがマナー違反だと思いますね、推しを蔑ろにする行為は。

 

③ 推しと同等だと思わない

推し全肯定且つ崇拝オタクなので、推しと同じラインに立っていると錯覚している同担が心底苦手です。絶対に相容れない。

私にとって推しを始め演者・制作側の人たちは舞台の上の人なので、絶対的に上の存在なんです。それに対して私たち観客席側は、あくまでお金を払って作品を「見せて貰う」存在なのです。とはいえ、どちらが偉いとか偉くないとか、そんな話ではありません。この2つは決して交わらず、互いに必要以上に干渉しないことで、絶妙な間柄を保っているのではないかと。だから、推しとファンという関係性が成り立つのでは、と考えています。

昨今、私たちはお金と時間を削って観に行っているのに何様だ、と怒れるファンも多いですが、私はあまり賛同できません。もちろん、そう思わせる発言をした側が軽率だと思いますが、個人的には「わざわざ観に行ってやっているのに」と思っている時点で、檀上に立つ人間と対等だと思っている証拠なので、そこは分かり合えないなと。(ただこればかりは、言われた側の立場に立って初めて気づくことも多いかと思うので、また考えが変わるかもしれませんが。)

どちらの立場も労力を割いているので、互いに互いを尊重できたらいいんですけどね。ただ、私は推しのATMになりたいと思ってはいますが、推しがファンをATMと扱った時点で終わりだなとは常々思います。

 

④ 身なりを気遣う

全通してくれるけれど、見た目も中身もヤバめのファンと、それなりに通ってくれる、見た目が普通中身も普通なファン。圧倒的な偏見ですが、私は後者に憧れます。更に言ってしまえば、バリバリ働いているのにほぼ全通で、見た目普通以上なファンが最高だと思っています。私が最も憧れるファンです。

推しという人間と会う以上、やはりこれも最低限のマナーだと思います。不快にさせない、清潔感のある身だしなみを意識すること。何より、自分なりのおしゃれをすると自分自身が一番楽しいですしね。なかなか難しいですが、観劇の頻度とうまくバランスを使いながらお金を使いたい部分です。

 

 

つらつらと勝手なことを書き連ねてきましたが、これが私にとっての「理想のファン像」です。以前の記事で「同担拒否だ」という内容のことを書いたのですが、私が拒否する同担というのは、私にとっての「理想のファン像」では無い人を指すのだと思います。完全なる同族嫌悪でしか無いんです。これもとても勝手なことですが。

だからこそ改めて気を引き締め、人として当たり前なことを当たり前に出来るよう、より意識していきたいと思います。

 

若手俳優応援スタンス

こんばんは。さいとうです。

前回の記事に反応下さりありがとうございます。

 

今日は何を書こうかと考えたのですが、まずは自己紹介も兼ねて答えていきたいなと思います。

 

 

◇自己紹介

さいとうです。関東在住、成人済み。カレンダー通りの勤務体系で働いています。

学生時代は違うジャンルに居ましたが、好きなものを追いかけるため、就職のタイミングで田舎から此方に出てきました。多方面で苦労しての上京だったので、何もアクションを起こさずに「東京にいる人はいいよね」と口に出す人は苦手です。

若手俳優と並行して、他ジャンルにも居ます。推しの舞台がない期間は、ほぼそちらに時間を充てています。


◇推しについて

小劇場を中心に活動している舞台俳優。この世に舞い降りた天使です。目が大きく、犬のように人懐っこい笑顔が素敵で、どこか中性的。背がすらっと高く、足が長い。とにかく長い。普段はフワフワとしているのに、お芝居の話になると途端に熱くなるところが好き。たまに腹黒い表情を見せるところもまた可愛い。

それから、本人は無意識なのかもしれないですが、営業上手。さりげなく距離を縮めるのが上手だなぁ…好き!ってなります。あと、掛けてくれたお金と時間にこちらも応えたいという話を聞いて更に好きになりました。

 

◇舞台を見に行く基準

推しが出演していれば必ず。初日と大千秋楽は必ず。あとは行ける限り。毎回全通は難しいですが、仕事の兼ね合いによっては。

他は好きな劇団の公演や誘われれば。現代劇よりも、アングラ物が好きです。

 

◇舞台以外のイベント等に行く基準

推しが出ていれば…と言いつつ、未だその機会に恵まれず。小劇場界隈だと、舞台以外のイベント自体がレアなので、なかなか難しいかもしれないですね。

 

◇グッズを買う基準

推しが写っていれば必ず。キャストが写っているグッズはなかなか販売されないので。ブロマイドがあれば歓喜します。けれど、ブロマイドの売り上げが推しの人気度合いを純粋に計る基準だと聞いたので、追いブロはしないです。1人が10枚より、10人が1枚ずつのほうが大事なので…本当はすごく買いたいけれど…。

パンフレットという代物は滅多にお目にかかれないので、あれば買います。あとは、個別チェキがあれば尚嬉しい。たまーに2ショットチェキを販売することもあるので、その時は制限枚数いっぱいまで買います。


◇雑誌を買う基準

将来的に、雑誌に載るようになると嬉しいな。

その他のジャンルでも雑誌は買わなくなりました。紙媒体は嵩張る上になかなか捨てづらいので。読みたいときは電子版を探しますね。

 

◇映像を買う基準

もちろん、推しが居れば。映像化すること自体、やはり滅多にないことなので…記憶と記録に残したいですね。あとは、好きな劇団さんの公演は必ず購入します。

 

◇プレゼント/手紙について

手紙は、初日に1通。大千秋楽で1通の計2通。最初の手紙では前作の感想や今作を楽しみにしていた事などを書き、最後の手紙では今作の感想をひたすら書きます。たまに気持ちが高ぶって、中日でもう1通書くこともあります。

プレゼントとまではいかないですが、差し入れは手紙を渡すタイミングで。喉ケア用品や、推しが好きと言っている消耗品などをいくつか見繕って。持ち帰りも大変だと思うので、嵩張らず軽いものを心がけています。


◇普段の行動

リプライは余程のことがなければ送らない。けれどRTは必ずするようにします。やはり一人でも多くの人に推しを知ってもらいたいですし、推しのチケットが一枚でも多く売れてほしいので。推しは必ず返事を送る人なので、私のリプライに返信する時間が勿体無い!その時間で他の人に営業掛けて!!という気持ちになり、リプライは送れないですね…。単純に、同担に監視されるのが嫌だというのもありますが。私が監視する方なので。

それから、アカウントがリスインされている疑惑があるので、あまり気持ち悪いことや不快になるような発言はしないように気を付けています。逆に、好きなものの話や推しに対してポジティブな発言をすると、面会の時に触れてくれたり、いいねをくれたりするので、そちらは考えながら発言してたりします。

他ジャンルでは、最近遠征の頻度が増えてきました。推しが居ると思うと急に思考力低下してチケットを取ってしまうのは、どのジャンルでも共通ですね。

 

◇同担について

同担拒否派ですね。同担は、推しにリプライでたくさん通ってますよアピールをする方ばかりなので、私は黙って全通を目指しています。理想のオタク像がそれなので。

あとは、反面教師にしています。キャスなどで、あからさまに推しがイラっとしているのに空気の読めない発言などを繰り返している同担を見ると、私はこうなるまいと思っています。

 

 

回答を読み返して、性格悪いな~と改めて実感…。しかし事実なので仕方ない…。

この質問に答えていて、次に書きたいブログの内容が思い浮かんだので、明日にでも書ければいいなと思います。テーマは「理想のオタク像」で。

 


 

推しを推すという事

はじめまして、こんばんは。さいとうです。

2本ほど記事をアップしていたのですが、その内容がどうにもしっくりこず。そこで一度仕切り直し、本日から新しくブログを始めようと思った所存です。

 

このブログでは、推しのことを中心に、自由気ままに好きなものの話や、なかなか表では書けない話などを書き連ねていこうと思っています。というのも、タイトルの通り「推しを推す」という事はこの上なく楽しい時間を過ごせる反面、どうしようもなく虚しく、辛く、時に他人に嫉妬し自己嫌悪するという、負のサイクルに陥るものだと実感することが多くなったからです。

 

私の推しは小劇場を中心に活動する舞台俳優で、役者としても人としても大好きな存在です。推しを推すようになって、かれこれもう約3年ほど経ちますが、初めのころは一度観れば満足していたものが、二度になり。二度の観劇が、三度になり。三度の観劇が…という風に、気付くと複数回通う事が当たり前になっていました。

推しの演技が好きで彼を推すようになったので、何度通っても飽きる事はありません。その時間は本当に楽しくて仕方がないのです。けれどその一方で、お金を落とす額が上がるに連れ、何とも言えないネガティブな気持ちが強くなっていくことも感じました。

 

例えば、推しに新しいファンが付いた時の事。SNSなどで、「今回の舞台で推しさんの事を初めて見てファンになりました!」というようなリプライを見かけると、嬉しくて仕方がなくなります。推しの演技を好きと言ってくれる人がいる、推しのことを好きだと言ってくれる人がいる。それだけで、私までどこか誇らしい気持ちになるのです。もっと推しのことを知ってください、もっと推しの演技を見てください。こんな役や、こんな作品にも出ていたし、次はこういう作品にも出るんですよ!と声を上げたくなります。推しのことを一人でも多くの人に知ってほしい、推しの演技を一人でも多くの人に見てほしい。それは嘘ではありません。

 

けれど一方で、私よりも後にファンになった同担が馴れ馴れしいリプライなどを送っていると、どうしようもなく嫌な気持ちになります。それは個人の自由ですし、それに返信をするのも推しの自由。でも、私よりも舞台に通っていないのにどうして?という気持ちが拭えないのです。私よりも後から来て、私よりも一つの作品にお金を落としていないのに、どうしてそんな風に馴れ馴れしくできるの?私は3年という時間を掛けてようやく推しとの丁度よい関係性を築いてきたのに、あなたはどうしてこの僅か数か月でそんなにも推しの近くに行こうとするの?と。

 

ファンが私だけでは、推しは活動を続けられないという事は分かっています。一人のファンが一万円を落とすのと、十人のファンが千円ずつ落とすのとでは、後者のほうが意味があるに決まっています。けれど、そのたった千円を落としただけで推しと同じ位置に立とうとする同担が、とても嫌で嫌で仕方がないのです。

それならお前も、他の同担のようにすればいい。私自身もそう思います。けれど出来るわけがない。だって推しに嫌われたくないから。私はこの3年、ずっと理解のあるファンを演じてきました。無意味なリプライは飛ばさず、馴れ馴れしく話しかけることはせず、面会中に他の同担が居ることに気付けば「私は明日も居ますから」と身を引き、何も言わず舞台には通い続ける。それでようやく、いまの絶妙な距離感に居ることが許されているのです。

だから、絶対に嫌われたくない。他の同担の行動力が羨ましくて仕方ないけど、私は私自身が一番かわいいので、それを真似ることも、積極的になることもせず、ただ陰から妬んでいるだけ。そしてフッと、そんな自分が嫌になるのです。

 

最初はもっと何も考えずに推しを推せていたはずなのに、いつの間にか他と比べるようになってしまった。お金を掛ければ掛けるほど、同担に対しての嫉妬が強くなってしまう。そして、今ではどこか同担と競うために、同担に勝つために、一度でも多く通おうと無理をしている。他人から見たら、ひどく滑稽だと思います。私ですら思います。けれど、推しのことが好きだから。舞台に立っている推しが好きだから、それを止めることは出来ないんです。今より回数を減らすことも、嫌われることも。

私はリアコではないと思っています。多分、私が抱えているのは、もっと面倒くさい感情。推しの一番になりたい。推しに必要とされたい。恋人よりも妻よりも、さらに上の存在、推しにとっての唯一無二でありたい。その為には何だってする。そんなとても拗らせた感情。

 

推しの演技が好きで、推しが舞台に立っている姿が好きで、その姿を見るために劇場に通っているはずなのに。無理をして、時間とお金を削って、その先には何があるのだろうと、ふと不安になることも少なくありません。こんな生活を続けて、手元には残るのだろうと。けれどそんなことは考えたくないから、これからもそれを忘れるために推しを推し続けようと思います。